◆864fRH2jywさんの小説2

本文

 綺麗な花にも、虫は付く。きれいな鳥にも、虫は付く。
『あの大根役者、辞めちゃえばいいのにね』
『見たぁ? 今日の泣きまね。むせてんのかと思った』
『てかアイドルがこっちきてぐちゃぐちゃに掻きまわしてくのがむかつく』
『あ、わかる』『自分のトコで愛想ふりまいてればいいのにねぇ』
 ――私は美しく咲きたいと思う。だから、邪魔な害虫はとっぱらって、それで、のぼりつめたい。
 私は耳をふさいだ。でも、その声は聞こえてくる。まるで壊れたレコードのように何度も何度も再生されている。
 やめてよ――
 私は叫ぶ。でも、真空の中にいるように、私の声は届かない。
 私の安寧は崩れ去り、築いたアイデンティティは消えそうになる。
『見た? 今日あいつ噛みまくりだったわよねえ』『アハハ、でもそれくらいが似合ってるんじゃなぁい? 「ごめんなさぁい」で済む、か、ら』『言えてる』
 もう……――。

***

 ――気だるい。
 助動詞の意味だとか、作者の意図だとか、そんなことを学んで何のためになるってんだろうか。
 私こと、星野巡――本名、宇宙巡は頬杖をつき、シャーペンをくるくると回していた。
現在、古文の授業中。しかし私は全くそれに身が入らず、ただぼんやりと思考を垂れ流しにしていた。
 最近、日々に充実感が失せてきている……。
仕事では下手を踏んでばっかりだし、授業ではやけに教師に指名されるし、せっかく予習したのに教科書もノートも忘れてしまうし。
 それにあいつとだって、ここ数日は挨拶くらいしかしていない。
 私は溜息を吐いた。その鬱塞に呼応するかのごとく、同時にカチリと時計の長針が動く。
時刻は、授業時間の九割以上を刻み終えていた。
 教師の熱弁をぼんやり聞きながら、私は鬱屈とした胸の内を吐きだす。
 仕事で失敗し、学校でもいいことなくて、溜まるフラストレーション。それを今度は仕事にぶつけようとして、はりきりすぎて失敗して……。
 きっと、悪いことが衛星のように私の周りをまわっているのだろう。すなわち、ヴィシャス・サークル――悪循環だ。そんなけったいな名前がつくほどだから、相当抜けだし難いモノなんだろう。
「はぁ……」
 私は握ったペンをくるくると回した。その輪っかを取っ払う意味だ。物理的なエネルギーが伝わり、シャーペンについている小さな星も一緒に空中を旋回する。
 時折蛍光灯の光に反射し、キラキラと輝く黄色いプラスチック。私はまた、鬱屈な呼気を吐く。
回る、回る――巡る、巡る。……なんてね。


***

チャイムが鳴り、周囲から嘆息が漏れる。
次は本日最後の授業で、科目は体育。しかも内容は、この秋という季節恒例の、マラソン。
男女混合のため厭らしい目線で期待感を高まらせるやつもいるのだが、大概は皆、倦怠感の一本である。
「六時間目の体育とか、ほんと面倒だよなあ」
「そうね」
「なんだよ姉貴。やけに冷たいな」
「うっさいわね……」
 あんたは宇宙でも守ってなさいよ。
「ったく、機嫌悪いな……」
 とかなんとか言う愚弟を無視し、私は更衣室へ向かう。
 体を動かせる体育の授業は、嫌いではない。でも、いつもみたく気分が高揚してこない。
授業が始まっても、私は相変わらずの心境だった。
とぼとぼとジョグ程度のスピードで走る。姦しい声を上げながらはしゃいでいる女子集団の後ろに隠れるように、一定のリズムで軽く地を蹴っていた。教師はもう諦めているのか、特に注意はしなかった。
「どうした、巡? 気分でも悪いのか?」
 そういって私の背中に軽く触れたのは杉崎だった。確かに普段、長距離走ならば彼と少しくらい張り合えたりする。
「……別に?」
「別にって……」
「何でもないわ。……あとナチュラルにブラ触るな変態」
 杉崎からしたら私は周回遅れである。しかし一周多く走っているというのに、彼は別段呼吸が乱れている風はなかった。
「え? あ、いや、は!?」
「お先に、変態さん」
 ちょっとした交流。私の胸は少し跳ねたのだが、それでもいつも見たくハイテンションにはならなかった。やはり劣等感が枷となっているのだろうか。
「うわ、ちょ、おい巡――ってうわっ」
 私が少しスピードを上げ女子集団を抜き去ると、杉崎はそれを追おうとした。しかしその瞬間、彼は小さな小石か何かに躓き、バランスを失ってしまうのだった。
「きゃっ、ちょっ、杉崎君?」
「わああ! ごめん! ごめんなさい!」
「杉崎、カオリに何してんの?」「ホント見境ないなあ」
「違う! 違うから! ごめんね当たっちゃってあと君もちょっとは反論しようか!?」
「……私、杉崎くんならっ」
「はえぇ?」
「お、杉崎がテレてる」
「テレてねーし!」
 何バカなことやってんだか……。
 背中に降りかかる、賑やかで、楽しそうな声。それは、頭では分かっていても、痛烈に私の心をくすぐるのだ。ああ、なんであの場に私は居る事が出来ないの?
 見かねたのか、それから少ししたところで教師の声がかかった。彼女らは気まずそうに少しスピードを上げ、杉崎は再び張り切って走り出した。……ざまあみろばーか。
しばらくして、しだいに追いついてきた杉崎は私の横を通りかかる。
「じゃ、お先」
……、……ふん。
 私はつい、そっぽを向いてしまった。


***

「――宙巡さんと杉崎くんに、片づけはお願いしますね。では解散」
 体育教師のその言葉で、私は意識が覚醒する。
 え? なんで私と杉崎が……。
 皆散り散りに解散していくなかで、杉崎はこちらに寄ってきた。
「巡、もし仕事あったらいいぞ? 俺一人でも」
「え? いや、別に無いけど」
「そうか? ……じゃあ俺がこれ持つから巡は……」
 杉崎はそう言って、私に小さなマーカーのはいった小袋を渡す。自分はファイルやなんかがはいった重たいカゴを抱えて。
「それにしても不運だなー。俺、始まる前に携帯見て、今日俺じゃんって思った」
「そう、ね」
――不運。その言葉に私は、少し胸が痛んだ。私と一緒、ってことが……?
つい、そんなマイナス思考に陥ってしまう。
ちなみになぜ私たちが選ばれたかと言うと、今日の日付に由来するわけだった。十一月五日。私の出席番号は五番で、杉崎は十一番なのだ。でも私がこれに気がついたのはもっと後になってからのこと。つまり、この時点でのそれは、私のなかのダウナーな気分に拍車をかけるものだったのだ。
「……どうかしたのか? 巡」
「……なんで?」
「いや、元気がないなあ、と」
「生理」
「あ。……、……ごめん」
 私は嘘を吐く。
杉崎に、あまり悟られたくなかったからだった。
 でも……。
その反面、すべてをうち明けてしまいたいと思う気持ちもあったりするのだ。心の底まで打ち明けて、そうすれば……。
 二律背反――。
 それは私の周りを回る奇天烈な輪っかに拍車をかけているようで、良い気はしなかった。


 体育倉庫は校庭の端っこにあり、普段あまり人は近寄らない。
 荷物をもった私と杉崎は、今日何周も走ったトラックを横切り、そこにたどりついた。
「さすがに、俺もここは初めてかな……」
 スチール製のドアは、ガタガタと今にも外れそうになっている。滑りが悪くなかなか進まない扉をなんとかこじ開け、私たちは石灰に汚れた床を踏む。
「これは……」
 杉崎が嫌気の混じった声を上げ、私も思わず顔をしかめてしまう。
 まさに、ごった返すとはこのことだ。その部屋には、様々な物品が整理もへったくれもなく置かれていたのだ。管理者の杜撰さがうかがえる光景だった。
 杉崎は一瞬迷うようなそぶり。そうしたあと、
「どうせだから片づけようかと思うんだが……」
 杉崎は横目でこのありさまを見る。
 それは副会長としての行動なのか。それとも、やらなくてもどうせそのうちやることになる、とでも思ったのだろうか。
「――じゃあ、私も手伝う」
「え、……いいのか?」
「なんで?」今日は一日オフだ。帰っても特段することはない。あったとしても、この心境で出来るはずがない。
「いや、別に。……終わったらなんか奢るよ」
 そうして、私たちは清掃を開始した。
 石灰で白く染みついた部分はどうしようもないので、そこを除いたリノリウムの床を絞った雑巾で磨いた。ホコリが雑巾に付着して黒く汚れる。そのいっぽうで、汚れを取ると床はだいぶ光沢をもつようになっていった。ここは元々、土足厳禁だったのかもしれない。
「巡。そこのカゴ取ってくれない?」
 杉崎は高い木製の棚に登り、物品を整理している。さすが男子というわけか、重そうなダンボールなどを積み上げ、下ろし、また積み上げ、下ろし、と自分なりに配置を定めているようだった。
「っいしょ、っと。えーと、これは……」
 その光景に、私も雑巾を握る手に力が入った。
 ――そうして時間は過ぎていき、体感で少し日が傾いたかなという頃合。
その時にはもう、室内は一変していて、来た時とは見違えるようになっていた。
「よっ、と。だいたい終わりだな」
 杉崎が木製の棚の一段目から、静かに着地する。
「そうね」
 雑巾を絞り、飛び散った飛沫をざっとふき取る。
杉崎も室内を眺め、頷いた。やはり根が綺麗好きなのか、その表情は満足げだ。
このとき私はというと、纏わりついていたマイナスの感情がだいぶはがれた気がしていたのだった。それは熱心に汚れをふき取ったからなのか、体を動かしたせいなのか。はたまた彼と時間を共有したせいなのか。
私ははにかむように笑ってしまう。……おっと、彼にこんなだらしない笑顔を見せられない。少し引きしめねば……。
と、そんなとき、ふと、視界に出口入り口兼用のスチール戸が映った。
「あ……」
 そういえば、と思い出す。さっき持ってきた袋が入り口に置きっぱなしになっていたのだ。
「杉崎、これってあの棚の上でいい?」
「ん? ああ。……って、高いだろ。俺がやるよ」
「大丈夫だって」
 私はそこまでひ弱ではない。
ちょうど腹のあたりの高さにある一段目の棚に足をかける。ニス塗りの古い棚だった。よっ、と軽く掛け声をかけそこをよじ登る。
「あ……」
そうしてから、私ははっとする。慌てて靴を脱ぎ捨てた。……そこだけまた拭き直さないと。
私は最上段を手で掴み、足元を確認。陸上のハードルやらソフトボールの籠やらの隙間に爪先を滑らせ足場を調整する。それから私は上体を起こした。
 ――そうして背伸びをして袋を上の段へ乗せようとして。
私は先ほど靴を脱いで上ったことを悔うことになる……。
 摩擦感が、足の裏を伝った。
「わぁっ――」
「巡!?」
 鈍い音、揺れる視界、杉崎の焦ったような顔――ブラックアウト。


***

「……ん」
「――起きたか?」
 目を覚ますと、彼の顔が見えた。
「よかった、巡」
「え……」
 頭が痛い。
「私……は?」
「足を滑らせて落ちたんだ。頭打ってた。動かさない方がいいよ」
 杉崎はそう言って苦笑いをしたが、次の瞬間、膝枕よろしく彼の太股に頭を乗せていると気づいたときには、思わず飛び上がってしまった。
「動くなって。脳震盪は動かさない方がいいんだってば」
「うぅ……」
「それより、まだ眩暈とかするか?」
「わかんない。……ちょっとするかも」
「そうか。じゃあもうちょっと安静にしてたほうがいいな……」
 杉崎はそう言って、私の額にのっていたタオルを濡らし、軽く絞り、また乗せた。おそらく私が倒れている間にどこからか水を汲んできたのだろう。
 ――気遣い。
それは彼の人間性を表している。不安やなんかが、すべて杉崎の懐に吸収されていくようだった。
「――ねえ」
 私は不意に口を開く。
「ん?」
「杉崎はさ、……なんで、そんなに優しいの?」
「は……?」
 彼は意表を突かれたようにそんな声を返す。
「いつもみんなをフォローしてるみたいだし」
「それは別に……」
「みんな、杉崎に支えられてるんだと思うよ」
 深夏も、善樹も、守も。そして、私も。もし私の世界に杉崎がいなかったら、おそらくアイドルをやろうともしていないだろうし、そしてやっていたとしてもとっくに辞めていた。彼自身、別段意識していないのだろう。しかし、何気ない彼の一言一言が、私たちの心をケアしてくれている。
「ほんと……ありがとう」
「お、おぅ……」
杉崎は照れているのを隠すようにそっぽを向く。そして、焦ったように、
「きょ、今日の巡は妙に女の子っぽいな」
「なによ、それ」
「いや、膝枕なんてしたたら、いつもみたいに殴られるかと」
「……、……」
 杉崎は軽快に笑った。普段のような元気な私を引き出そうとして言ったのだろう。……でもそれは私の心を深くえぐっていくのだった。
「ねえ」
「な、なんだよ」
「――杉崎は私のこと、どう思ってる?」
「え……?」
 彼は驚いたような声を上げる。確かに、突拍子もない質問だ。だけど、それでも私は真剣なのだ。
「どう、……思ってる?」
「それは……」
 杉崎は一瞬口を閉じ、ためらうような動作をしてから、
「大事な人だ、って思ってる」
 そう言った。


「――ほんとに?」
「うん」
「ウソ」
「え……」
 私はきっぱりと言う。杉崎の抜けるような声が聞こえる。
「杉崎は、そんなこと思ってない」
「そんなこと――」
「……だって私が何をしても煙に巻く。私が杉崎と話したいっておもっても、すぐ逃げられちゃう」
「それは……」
「私は、たしかに横暴かもしれない。でも、いつもそうだと、ほんとに思ってる? いつもこんな私だって思ってるの?」
「そんなこと……、ないよ」
 顔を伏せる。目を合わせようともしてくれない……。
「だったら!」
 感情が燃え上がった。私は声を上ずらせる。
「だったら、なんで……、なんでこっちむいてくれないの!?」
「そ……れは」
「杉崎はいつもそう。……なんで誤魔化すの? 私にだけ、なんでみんなみたいに接してくれないの? 私とも普通に接してほしいっ」
 彼は唖然と私を見ている。
「杉崎は……。杉崎はいつも、ガラスを作ってしまう。見えない、ガラスを。私がどんなに近寄って声をかけても、結局全部、全部全部光みたいに屈折しちゃう」
 私の光は逸らされ、いつまでもたどりつけない。
「……もっとちゃんと受け取ってほしいっ。ねえ、杉崎。そんなもの置かないで……っ! ガラス越しなんて嫌っ!」
 私は肩で息をしていた――感情の吐露。私は全部吐きだしたのだ。
けどそれといっしょに、私の心からはそれとは別の得体の知れないものも出てきていた。それは、液体窒素のように私の脳内を冷やしていき……。
 そうして言ってしばらくたってから、自分がどうしようもなく幼稚なことをしていると気がついた。稚拙で、自分勝手で、最低な行為を。
「す、杉崎……私……」
「……、……」
 杉崎はなにも答えなかった。嫌われてしまったのだろうか。……でも、それもしかたがない。これが、私なのだから。これが、私という人間なのだから。本当に嫌っているのなら、もう、どうでも――
「――特別、だからだよ」
 え……。
「巡が……特別、だから」
 ――特別?
「お前が誰より、心配なんだ」
 杉崎は静かに、それでいて強く、私の聴覚神経を刺激する。
「巡は誰よりも強い。けど、同じくらい脆いんだ。でも巡は自分がどんなに苦しくたって微塵も顔に出さないだろ? だから俺は、そんな巡を、一歩引いて見る様にしてるんだ」
「杉、崎……」
「そうすれば、わかると思って。……いつもがんばってるお前が、どんな状態か、って。無理なんてしてはないだろうか、って」
「杉崎……」
「巡」
 杉崎は小さくつぶやき、そうして私をじっと見つめた。私も、視線をそらそうともせずに、杉崎を見つめる。
 男子のくせに長いまつげ。見入ってしまうような双眼。白磁のように綺麗な肌。それらすべてを、杉崎独特のキラキラしたオーラが包んでいる。私は思わず手を伸ばそうとし、抗い、そして次の瞬間には杉崎に手を取られていた。心臓は破裂しそうなほど高くなっていて、手のひら越しに杉崎に伝わってしまいそうだった。
 好きだった。どうしようもなく。彼が、好きだった――


「ねえ杉崎……」
「なんだよ」
「私を、抱いてほしい」
 息を飲む音が聞こえた。
「え……」
「私は杉崎の事が好き。だから……」
 本心。オブラートに包むこともせず、まっすぐに、ただまっすぐに、彼の心に届ける。
「私のだけを見てほしい。私だけを。世界中で私だけを……」
「……、……いい、のか? 本当に?」
「うん……」
「後悔するぞ?」
「そんなことしない」
「する」
「しないって」
「……、……」
 杉崎の顔が近付く。私もそれに倣った。
 力加減がわからず、歯と歯がぶつかりカチリと鳴る。
「杉崎……」
 私は彼の名前を呼ぶ――
「脱がすよ……」
 私がコクリと頷くと、杉崎は体操服の上をめくり上げる。白い、シンプルな下着が現れた。……こんなことならもっといいのをつけてくるんだった、なんて思い、笑ってしまう。
「どうした?」とそれに気づいた杉崎。
「なんでもない。それより、ブラちゃんと外せる?」
 私は必死に羞恥心を上塗りし、挑発するように妖しく笑って見せる。
「な……」
「ほら、後ろのホックを外すの」
 私がそういうと、杉崎は真っ赤な顔で手を伸ばす。ちょうど正面からハグされるようにして、背後に両手を回した。
 カチリ、と小さな音。
「……、……っ」
 さすがにもう隠すのは無理だった。小さく声が漏れ、顔は真っ赤に染まっていくのがわかる。
 杉崎は唖然と私を見つめている。珍しいものでも見るかのように。しかし次の瞬間には、
「巡っ……」
「……、ぁ、うぅ」
 私は正面から抱きしめられる。交わる唇。彼の右手は私の胸に触れていて、感触を確かめる様にぐにぐにと動く。
「……、すぎ、さき」
 まるで新しいおもちゃをもらった子供のように、私は玩ばれる。胸の奥が燃える様に喚声を上げる。
「巡……」
 彼の手が、羞恥と幸福で固く尖った先をなでる。摘まむ。そうすると私はもう、嬌声を抑えきれなくなる。
「うぁ……、くぅ」
「巡……、……ん」
 互いに見つめあう。
 距離はゼロ。
 私の視界は幸福の結晶でぼやけており、はっきりとは視認できない。けど、彼の顔だけは鮮明に映る。杉崎鍵が、目の前にいる。
 もう一度軽く唇を合わせ、彼の手は私の腹部を伝い、下に降りていった。
「……ぁ」
「……ダメ?」
 ふるふると、私は幼けなく首を振るしかできない。――もう一度、触れるキス。
 そうして、彼の手は止まらず、私の下着の中に入ってきた。
 薄い茂みの丘を少し撫でてから、さらに下に。落ちる、堕ちる。
 中身に触れると、程よく湿ったそこは、卑猥に鳴いた。
「ん、あッ……」
「これ、巡の」
 杉崎は私の粘液がついた手を眼前に持ってくる。
「……バカ、――ッ」
 それしか反応できない。すぐに追撃の手がきたからだった。
「……んっ、……ぅう」
「巡」
「すぎ、……さきぃ」
「好きだよ、巡」
「わ、私も……、………好き」
 まさか、こんなところで言うことになろうとは。
 メールの上でも、手紙の上でも、放課後の教室でもない、こんな場所で。
 下半身からはしびれるような快感。また、それに並ぶくらい、胸からもじんじんしびれるような刺激が伝ってきていた。見ると、杉崎が私の先端に吸いついていた。
 そんな状況の中、私は幸せをかみしめている。
「……、巡」
「……あっ、……あッ、あああ」
「大好き」
 どくんと心臓が跳ね、同時に私の体も跳ねた――頂に達した。
「はぁっ……、はぁっ……」
 荒い息。
「巡……」
 彼の声がする。何を言わんとしているのか、私は瞬時に把握する。
「……いいよ、きて」
「ほんとに?」
 コクリ、首を折る。
「巡っ」
「ん……」
――ああ、なんて幸せなのだろう。
杉崎が私を貫いていく。聞くような痛みはない。それは私のそこが十分に湿っているせいなのか、アドレナリンとかいうやつのせいなのか。
脳内より分泌される、モルヒネの数倍の効力をもつという物質が、痛みを和らげている……。なんて意味もなく思ったりする。――でも、今はそんなことはどうでもいいのだ。
『彼が入っている』。その絶対事実は、私の幸福メーターを満たして、そしてオーバーヒートさせていく。
――今日は十一月五日。火曜日。
生憎と、現在時刻は不明。だけど、一生忘れないであろう光景が、私には映っている。
彼の背中越しの視界。真っ赤な夕日が見える。そして、我らが碧陽学園の校舎――その光景、それら重なり始めたとき、私たちは重なった。
「巡……」
「杉崎」
「巡」
 彼が入っている。名前を呼び合っている。……愛が呼び合っている。
 もう彼のことしか考えられなくて。もう彼のことしか考えたくなくて。
 ――ああ、なんて幸せな……。


 ***

 帰り道。
「杉崎はさ、なんでそんなに強いの?」
 私がそう訊くと、俺は別に強くないよ、と苦笑い。しかし、少しためらうような仕草の後、彼は再び口を開いた。
「……俺さ、決めてることがあるんだ」
「決めてること?」
「そう」
 小さく呟いて、前を見据える。
「俺は――俺は、決めたことを最後まで貫き通す。……それがどんな、どんな最低なことでも。……だけどさ、それでそのとき後悔しても、もしかしたら後になったら逆になってるかもしれないだろ?」
「……、……貫き通す?」
「そう。それがどんだけ馬鹿馬鹿しいことだって、な」
 少しシニカルに笑う杉崎。
「……馬鹿馬鹿しいって自覚、あったんだ」
「あ……、いや、それは」
 それが何を示唆しているかわかったのだろう。
彼はより笑みの色を濃くした。
 私はそんな横顔を眺め、そのあと、ふと、空を仰いだ。曇天だった空。今も真上は灰色。でもそれは徐々にオレンジ色へとグラデーションを描いており、最終的には眩しいくらいの橙に染まっていた。
それはなんだか、私の心の変化を表しているようだった。
 ――そうだ。私も、やり通そう。
 そう心に誓う。
 どんなに侮辱されようと、どれだけ他人に蔑まれようと――私はやり通そう。
「ん? なんかあるのか?」
 杉崎もつられて私に倣う。二人して、空を眺める。……いい雰囲気じゃないか。
「別に。……きれいだな、って」
「うん」
「私のほうがきれい?」
「ああ、もちろん」
 なにをいってるんだか……。
「じゃ、杉崎。……またね」
「ん、ああ」
 ――笑顔で手を振る。
「また、明日」
 そう、私はどんなに猫をかぶろうと、死ぬまでやり遂げて見せる。

――だって今は、私の『本当』を見ていてくれる、素敵な人がいるのだから。







参考情報

2010/10/03(日) 01:11:07~2010/10/03(日) 01:16:33で8レスで投稿。
◆864fRH2jywさんの生徒会の一存のエロ小説を創作してみるスレで2作品目。


  • 最終更新:2010-10-07 00:02:16

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